瀬戸大橋線開通当時は JR四国

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瀬戸大橋を渡っている電車の車内はいたって静か
瀬戸大橋線が開通した年の快速マリンライナーは、
橋を渡っている時は、乗客はみな窓の景色を眺め
車内放送で橋の紹介などもありにぎやかでしたが
今は過去のもの・・・
窓の景色を見る人はほとんどみかけなくなって
しまいました。
瀬戸大橋線開通当時の快速マリンライナーの本数は
1日19本、9両編成で運転し
混雑している時期は10両編成で運転していましたが
車内は、高松から岡山まで人で身動きできない車両や
乗客の積み残しなど8月の終わりまで混雑が続きました。
瀬戸大橋線の本数は開通した頃は、
貨物・特急などをいれて52本ほどしかありませんでしたが
今は何本あるのだろうか。
 
又、瀬戸大橋線が開通した頃の運賃は、
岡山-高松間で片道1,220円でしたが
四国での旅客運賃や消費税引き上げ
瀬戸大橋を渡る運賃100円が加算されるなどして
今では片道1,470円となっていました。
 
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